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70年前の日本の戦争: 戦艦大和「総員死ニ方用意」掲げ沖縄出撃

 戦艦大和の慰霊祭に、海上自衛隊員3000人が集められた。 
 安倍政権は、彼らに何を学ばそうとしたのか。闘争心を喚起するためか?撃沈の無念を胸に刻ませるためか?

 大和に乗せられ、死のための戦いに駆り出された証人の声を聞こう。
 戦艦大和は1945年、米軍の猛攻を受けて沈没し、約3000人が戦死した。沖縄の戦場に駆けつける直前に「総員死ニ方用意」。死の準備をせよ、という命令が知らされた。
 18歳で水兵長として乗り組んでいた名古屋市の畦地哲さん(88)は、「死を前提とする作戦だった。それは作戦と呼べるのか。」と言葉を投げかける。

 運命の日、見張りの声が響いた。「大編隊発見」。100機以上の敵機が近づき、高度2500メートルから1機ずつ急降下を始めていた。日本の戦闘機より急角度でスピードも速い。照準を合わせ、射程1500メートル前後で引き金を引く。 命中の確認はできない。畦地さんの右手人さし指に、引き金を引く感触が今も残る。 恐ろしいのは直撃弾だ。「爆弾が向かってくる。これは死ぬ、と何度か思った」。「気づいたら船体が大きく傾いていた」。戦闘終了を意味する「総員退去」の声を聞いた。持ち場を離れて最上甲板に出ると、遺体の一部が転がっていた。 船がゆっくり傾いていく。頭から海へ飛び込んだ。
 顔を上げると数十メートル先に大和が見えた。直後に火柱が上がり、黒煙に変わった。大和の姿はもう見えなかった。

 同僚と浮遊物につかまりながら漂流を続け、数時間後、味方の駆逐艦に救助された。海面にはまだ複数の乗組員が漂っている。「彼らは救助直前に望みを断たれた。」

 大和は今も海に沈む。遺骨や船体を引き揚げる話もあったが、畦地さんは反対する。
 「彼らは大和と共に逝った。大和を枕に休ませてあげることが一番の供養と思う」
by mikanyuzukaki | 2015-04-10 07:48 | ジャーナル | Comments(0)
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